写真のないフォトエッセイ:遠藤周作の『沈黙』

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若い頃読んで、もう読み返したくないと思った小説がある。一冊は小林多喜二の『蟹工船』、もう一冊が遠藤周作の『沈黙』です。読んでいて怖かったんです。

いま『沈黙』の映画が公開されてる。観ようか迷っている。それで読み直して見た。若いとき読んだときの怖さを感じなかった。

始めて読んだ頃は、絶対に守らなければならない家族があり、仕事では利害のストレスがあって、そして正義感もあって、純粋だったからでしょう。自分だったらどうする?という自問自答しながら読んだから怖かったのでしょう。

年取って、そんな純粋なところを失い、世慣れした狡さだけが残ったようです。


長崎に「沈黙の碑」がある。

人間がこんなに哀しいのに
主よ
海があまりにも蒼いのです
        遠藤周作


神と信仰を命題にした重い小説です。

島原の乱の次の年、2人の若いポルトガルの司教が日本に密入国した。目的は、フランシスコ・ザビエル以来布教してきた信仰の火種を消さないため、そして拷問に屈し踏み絵を踏んで棄教したと言われている司祭の消息と真偽を確かめるためだった。

最も切支丹禁制の厳しいときです。結末は見えています。捕らわれて処刑、拷問の末殉教、または拷問に耐えられず棄教です。物語に明るいものも、英雄も、奇跡もありません。暗い地下に滑り落ちていくように一直線に結末に向かっていきます。

神を信じて耐えがたい拷問の末に殉教する信徒たち。司教が夢見ていた、天使が喇叭を吹くかがやかしい殉教とはほど遠い悲惨な殉教でした。それでも神は沈黙している。

自らは拷問で殉教することを恐れていない強い信仰心を持った司教です。しかし、自分が踏み絵を踏まなければ、穴吊りの拷問で呻き声をあげている信徒たちを救うことができない。神と信仰、信徒と殉教、善と悪、そして沈黙し続ける神、救いとは何か司教は追い詰められていきます。


「踏み絵ば踏んだ者には、踏んだ者の言い分があっと。---俺が喜んで踏んだとも思っとっとか。-----俺を弱き者に生まれさせながら、強か者の真似ばせろとデウスさまは仰せ出される。それは無理無法と言うもんじゃい」
この物語に深く関わっている。キチジローの言葉です。キリストを裏切ったユダのような男で、踏み絵を踏んで棄教、密告、司教を裏切った男の言葉です。私もキチジローでしょう。


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by mscomtec | 2017-02-07 05:53 | Essay | Comments(0)